大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和43年(ネ)535号 判決 1971年4月15日

主文

一  本件控訴中、被控訴人井道洋子に対する部分を棄却する。

二  原判決中、被控訴人井道賀津子に関する部分を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人井道賀津子に対して金七〇万円及びこれに対する昭和三九年八月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人井道賀津子のその余の請求を棄却する。

三  控訴人と被控訴人井道洋子間に生じた控訴費用は控訴人の負担とし、控訴人と被控訴人井道賀津子間に生じた訴訟費用は第一、二審を通じてこれを三分し、その二を控訴人の負担、その余を被控訴人井道賀津子の負担とする。

四  この判決は、被控訴人井道賀津子の勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との旨の判決を求めた。

被控訴代理人は、請求の原因として、

一  被控訴人賀津子は、その長女である被控訴人洋子を連れ、昭和三九年八月二五日午後八時二五分頃、宇治市宇治妙楽一七五番地先宇治橋上を西より東に向い歩行していたところ、控訴人の使用人である訴外(原審共同被告)河崎信雄が控訴人所有の第一種原動機付自転車(以下事故車という)を運転し、東より西に向つて進行してきて、被控訴人賀津子に衝突し、被控訴人賀津子を同洋子とともに同橋上に転倒させ、このため、被控訴人賀津子は頭部外傷Ⅱ型、左前額部割挫創、左下腿肘部肩胛骨部打撲症、右三、四指擦挫傷、被控訴人洋子は頭部外傷Ⅰ型、左前額部打撲傷、左前額部耳介後部膝部擦過傷の各傷害を受けた。

二  右事故は、訴外河崎が無免許であるのに、事故車を時速約三五キロの速度で運転し、事故現場に差しかかつた際、酒約四合とビール約一本を飲酒していたため、めいていして前方注視困難な状態に陥つていたにも拘らず、運転を中止することなく、そのまま運転を継続し、同一速度で漫然進行した重大な過失により、折から前方より被控訴人両名が対面歩行して来たことに気付かず、事故車前部を被控訴人両名に正面衝突させたことにより惹起されたものである。

三  控訴人は、訴外河崎を自動車助手として雇い入れ、平素同人に事故車の鍵を渡して、事故車を集金その他の控訴会社の業務のために使用させていた。また控訴人は、事故車の鍵を事務所の机の抽出に入れていただけで、その使用人の誰でもが、平常無監督のまま、公私にわたつて自由に使用できる状態に置いていた。従つて控訴人は、訴外河崎の使用者として、本件事故により被控訴人両名に生じた損害を賠償する義務がある。

四  被控訴人両名は、本件事故による受傷のために、いずれも事故当日の昭和三九年八月二五日宇治病院に入院し、被控訴人洋子は同年一〇月一日、被控訴人賀津子は同月二七日に退院した。しかし、被控訴人賀津子は、前頭部から額にかけて六センチにわたる傷跡が残つたばかりか、その後も通院加療を続け、頭重感、頭痛、めまい等の自覚症状があつて「外傷性てんかん」の後遺症があり、現在のところその回復の見込みは立たず、家事にも従事しえない状態である。被控訴人賀津子の夫は関西電力に勤務する一介のサラリーマンにすぎず、世話のかかる子供三人(事故当時長男一二才、次男九才、長女の被控訴人洋子九才)の養育のこともあり、事故の態様、傷害の結果、被控訴人らの家庭状況等諸般の事情を斟酌すると、被控訴人両名の精神的損害に対する慰藉料の額は、被控訴人賀津子につき金一〇〇万円、被控訴人洋子につき金一〇万円とするのが相当である。

五  よつて、控訴人に対し、本件事故による慰藉料として、被控訴人賀津子は金一〇〇万円、同洋子は金一〇万円と、いずれもこれに対する事故当日の昭和三九年八月二五日から完済まで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

と述べ、控訴人の抗弁事実を否認し、立証として甲第一号証の一ないし二二を提出した。

控訴代理人は、答弁として、

請求原因一の事実中、控訴人の使用人である訴外河崎が控訴人所有の事故車を運転して、被控訴人ら主張の日時場所において本件交通事故を起した事実、同二の事実中、訴外河崎の無免許飲酒運転の事実、同三の事実中、訴外河崎が控訴人のトラツクの助手であつた事実は認めるが、その余の請求原因事実は争う。本件事故は、訴外河崎が、事故当日の夕食後に、控訴人の管理者の目を盗んで事故車を持ち出して遊びに行く途中に起したものであつて、本件事故と控訴人の事業とは関係がない。また、被控訴人賀津子の前額部挫創痕はほとんど認められないほどになつており、仮に認められるとしても、自動車損害賠償法施行令別表第一二級第一四号に該当し、損害金は金五二万円が相当である。被控訴人洋子は些細軽微な打撲傷であつて、なんらの後遺症もない。

と述べ、抗弁として、

控訴人は 本件事故発生の直後、被控訴人らとの間で、控訴人は治療費の全額金一〇七、一一二円を被控訴人らに支払い、被控訴人らは他に共済組合より金一〇万円の支払を受けたので、今後被控訴人らは控訴人に対し、なんらの請求をしないとの旨の示談契約が成立したから、被控訴人らの本件慰藉料請求は失当である。

と述べた。〔証拠関係略〕

理由

一  被控訴人ら主張の日時場所において、控訴人の使用人である訴外河崎信雄の運転する控訴人所有の事故車(第一種原動機付自転車)が被控訴人賀津子と衝突し、同被控訴人と被控訴人洋子が転倒したことは当事者間に争いがなく、右衝突、転倒の結果、被控訴人両名がその主張のとおりの部位に、その主張のような傷害を受けたことは、〔証拠略〕によつて認めることができ、この認定に反する証拠はない。

二  そこでまず、右事故の発生につき、訴外河崎の過失の存否について判断する。

訴外河崎が本件事故の際、飲酒の上、無免許で事故車を運転していたこと自体は当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によると、同訴外人は、事故当日、仕事を終えたあと、午後六時頃控訴人の寮に帰つて同僚と飲酒し、同訴外人だけで清酒約四合とビール約一本を飲んだうえ、同僚と約一五分間キヤツチボールをしたのち、事故車を運転し、府道宇治京都線を時速約三五キロの速度で西進し、午後八時二五分頃、幅員八米の宇治橋に差しかかつたのであるが、右飲酒によるめいていのため、前方を注視することすらできない情況にあつたのであるから、事故の発生を未然に防止するため、直ちに運転を中止すべきであつたにもかかわらず、無謀にもそのまま運転を続け、宇治橋の南側(進行方向左側)欄干から一・五米前後の距離のところを同一速度で漫然と進行を続け、同橋上の「三の間」の約八・五米手前(東寄り)の地点で、南側欄干から約一・一米のところを対向歩行してきた被控訴人賀津子に衝突する瞬間まで、同被控訴人を発見することができなかつた過失により、事故車を同被控訴人の左肩に衝突させ、本件事故を惹起したもので、同訴外人は過度のめいていのため、宇治橋にさしかかつたのちのことについては、全く記憶がないという始末であつたことが認められ、右認定を左右する証拠はない。従つて、本件事故が訴外河崎の過失によつて生じたものであることは明らかである。

三  すると、控訴人は、本件事故が控訴人の業務の執行につき生じたものである限り、民法第七一五条第一項の規定により(事故車は第一種原動機付自転車であるから、本件事故当時施行中の自動車損害賠償補償法第三条の適用はない)、被控訴人らに対し本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務があるものというべく、この点に関し、訴外河崎が控訴人に自動車助手として雇われていたことは当事者間に争いのないところであるが、被控訴人らは、控訴人が訴外河崎に事故車の鍵を渡して事故車を集金等の業務のため使用させており、また平素から事故車の鍵を使用人が誰でも自由に使用できる状態に置いていたから、本件事故は控訴人の業務の執行につき生じたものであると主張するのに対し、控訴人は、右事実を争い、本件事故は訴外河崎が事故車を勝手に持ち出し、遊びに行く途中に起したもので、控訴人の事業の執行とは関係がないと抗争するので按ずるに、なるほど、〔証拠略〕によると、訴外河崎は、終業後に私用で知人宅に行くために、事故車を勝手に運転して、本件事故を起したものであることが認められるけれども、〔証拠略〕によると、訴外河崎は、トラツク助手として、平素、運転手と一緒に貨物自動車の運転台に乗り、荷物の積み卸しに従事していたこと、控訴会社社長は、訴外河崎が第一種原動機付自転車の運転免許を受けていないことを知つていたが、同訴外人に対し昭和三九年八月頃、急用の際には事故車を運転、使用してよい旨述べて、事故車の鍵が社長の机の抽出に入れてあることを教え、その後同訴外人は、三日に一度位の割合で、随時事故車の鍵を右保管場所から自由に取り出して事故車を控訴人の業務のために運転し、控訴会社社長の見ている前で事故車を運転したこともあつたこと、本件事故当時も、事故車の鍵は社長の机の抽出の中に入れてあり、社長室にも、右抽出にも旋錠はされておらず、訴外河崎としては自由に鍵を持ち出すことができる状況にあり、同訴外人はこれを持ち出して、控訴会社の自転車置場に置いてあつた事故車を運転して、本件事故を起したものであることが認められ、〔証拠略〕のほかに、右認定を左右するに足りる証拠はなく、右認定の事実によると、たとえ本件事故当時、訴外河崎が終業後に、主観的には私用のために、事故車の運転をしていたものであるにしても、その行為の外形を客観的に観察すると、同訴外人の事故車の運転は、なお同訴外人の職務の範囲内の行為と認めるのが相当であり、その結果惹起された本件事故による損害は控訴人の事業の執行につき生じたものというほかはない。

四  すすんで、本件事故により被控訴人両名に生じた損害について判断する。

〔証拠略〕を綜合すると、被控訴人賀津子は、本件事故による前示受傷の結果、事故当日の昭和三九年八月二五日から同年一〇月二七日まで六四日間宇治病院に入院し、その後も頭重感、頭痛、めまい等の自覚症状があつて、少くとも昭和四〇年三月二四日頃まで同病院に通院を続けたこと、左前頭部から額にかけて長さ約六センチメートルの傷あとが残つたこと(もつとも、この傷あとは、〔証拠略〕によると、現在では著しく目だつほどのものではないと認められる)、被控訴人洋子の傷害は、約二週間の休養を要する程度のものであつたことを認めることができるが、被控訴人賀津子に、その主張のような「外傷性てんかん」の後遺症があることについては、これを立証する医師の診断書等の提出がないのはもとより、被控訴人ら提出の全証拠によつても右事実を認めることはできないし、被控訴人洋子が事故当日から昭和三九年一〇月一日まで三八日間入院したとの被控訴人らの主張についても、これを認めるに足りる証拠はない。さらに、〔証拠略〕によると、本件事故の際、被控訴人らは、歩車道の区別のない宇治橋上を、西から東に向つて歩行するにあたり、南側(進行方向右側)欄干から、訴外並川てる子、被控訴人洋子、同賀津子(被控訴人らは手をつないでいた)の順に、横に一列に並び、被控訴人賀津子は右欄干から約一・一米内側を通行していたもので、かつ、被控訴人賀津子が訴外並川の方をみて、話し合いながら歩行しており、前方をよく注意していなかつたため、前照灯をつけて直進対向してきた事故車に衝突に至るまで全く気付かなかつた落度があることが認められ、以上に、前認定の事故の情況、訴外河野の過失の内容、程度、その他本件全証拠によつて認めうる諸般の事情を斟酌すると、本件事故により被控訴人両名に生じた精神的損害は、控訴人において、被控訴人賀津子に対しては金七〇万円、被控訴人洋子に対しては金五万円の慰藉料を支払うことによつて慰藉されるものとするのが相当である。

五  次に、控訴人の示談成立の抗弁について判断するに、控訴人の全立証によるも、本件事故発生の直後に控訴人主張のような示談が成立した事実を認めうる証拠はなく、かえつて、〔証拠略〕によると、控訴人と被控訴人らとの間に本件事故による損害賠償に関して示談契約の成立した事実はないことが窺えるから、控訴人の右示談成立の抗弁は理由がない。

六  そうすると、被控訴人らの請求は、控訴人に対し慰藉料として、被控訴人賀津子において金七〇万円、被控訴人洋子において金五万円と、いずれもこれに対する事故当日の昭和三九年八月二五日から完済まで民事法定利率の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があり正当として認容すべきであるが、その余の部分は失当として棄却を免れない。

よつて、被控訴人洋子との関係では、同被控訴人の請求を右の限度で認容した原判決は正当であり、同被控訴人に対する控訴は理由がないからこれを棄却し、被控訴人賀津子との関係では、同被控訴人の請求を右の限度を超えて認容した原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき、被控訴人洋子との関係で民事訴訟法第九五条、第八九条、被控訴人賀津子との関係で同法第九六条、第九二条、第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮川種一郎 林繁 平田浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例